1997年〜2007年の3月後半に湘南ひらつかキャンパス内で「交流祭」なるイベントが行われていました。
管理人M1981は当時このスタッフでもあり(組織は交流祭プロジェクトチームと称していました)、現役時代の思い出話も兼ねて記事化しました。
SHC周辺の作業所や養護学校に通う障碍を持った方(以下:参加者)と、それをサポートするボランティア(以下:パートナーボランティア)を突き合わせて5〜6名のグループを組み、キャンパス内に設置されたアトラクションをめぐって1日楽しむイベントでした。
アトラクション運営の手伝いをするボランティア(以下:アトラクションボランティア)もいてイベントをサポートしていました。(ただし、最初の2回は集団レクリエーション方式だったようなことを聞いています。)
アトラクション方式になってからの当日の進行は、覚えている範囲でこんな感じだったと思います。
グループ編成 | 受付で参加者とパートナーボランティアのグループ分けをして。 |
開会式 | 参加者及びパートナーボランティアが集まっての開会式。 スタッフや来賓の挨拶をしていました。 |
アトラクション訪問 | 交流祭のメイン。 会場内に設けた複数のアトラクションを巡って楽しみました。 なお、途中に昼食休憩時間も設けており、事前に交流祭側で用意したお弁当を提供して喫食していました。 |
ビンゴ大会 | 交流祭の最後はアトラクションボランティアも含めてステージに集まり、ビンゴした人が賞品を持って帰っていました。 |
閉会式 | 最後に交流祭の総括を話して終了しました。 |
第9回までは、交流祭終了後に学生とボランティアが集まって後夜祭も開いていました。
交流祭のメインで出されたアトラクションには主に以下がありました。(複数年開催した中での実績より)
私が現役時代の2001年〜2004年の第5〜8回を中心に、特色があった出来事等を掻い摘んで載せたいと思います。
2003年の第7回交流祭にてデビューしたオリジナルキャラクター。
当時の現役生によって作られ、頭にKとOそれぞれを付けた猫をイメージしたペアのキャラクターでした。
左写真:2004年平塚祭での立体パズルに描かれたニャンKO
2001年の第5回交流祭では、SHC周辺も走る神奈川中央交通様に出向いて、当日の参加者送迎用の貸切バスを手配していただきました。
当時のWebが残っていないので詳細はあまり覚えておりませんが、活動記録の中で、営業所に交渉に行った当時の重役(代表等2名)と平塚駅旧14番のりば後方に停車中の送迎車両の写真が掲載されていたのは覚えています。
2002年の第6回交流祭においてはスタッフTシャツを着用しました。
(2023.-4.22追記 現物が出てきたので撮影しました)
柄は、上写真の通り、全体がライトグレーで、前は当時のスタッフの英語表記を斜めに並べて配置、後ろは横文字で「KOURYUSAI」の表記と「As for what we look for.」のスローガン?みたいなのを明記していました。
2003年の第7回交流祭では、交流祭マネーなるものを導入しました。
当時の目的は失念しましたが、おそらくお金を使うことの大切さを参加者に知ってもらう目的で考えたものと思われます。
入場時にあらかじめ所定額分配られ、それぞれのアトラクションをやる際に実際にそのマネーを支払って体験してきました。
2006年の第10回の歴史展にて当時のチケットを改めて見ましたが(管理人はこの年パートナーボランティアとして参加)、先述のキャラクターニャンKOが入った絵柄だったと思います。
2004年の第8回のアトラクションの休憩所として、自前の鉄道模型を走らました。
その中で、私は4年間の感謝を込めて(?)、オリジナル装飾の電車を用意して時々走行させました。
2両編成で1両ずつデザインが異なっており、車両ごとに次の通りに作りました。
左写真:交流祭で走らせたオリジナル装飾の電車、通称「交流祭電車」
(管理人同期のスタッフ撮影・提供)
なお、2003年度には課外活動の優秀団体賞に選ばれ、卒業式に当時の代表(管理人の同期)が登壇して賞状をもらっていました。
交流祭の模様の日記ページは次の年及び回をアップしていますので、参考までご覧ください。
2005年(第9回) | 2006年(第10回) | 2007年(第11回)
交流祭当日以外にも、交流祭プロジェクトチームが行ってきた活動がありました。
その中で管理人が把握したものを紹介します。
地元平塚で障碍を持った子供さんらと一緒に色々と遊んで楽しむ会がありますが、その定期イベントに交流祭プロジェクトチームとしても参加していました。
SHC近くの施設にて平塚周辺の作業所の関係者とボランティアが集まって寝泊りする平塚市主催のイベントの運営のお手伝いをしていました。
交流祭プロジェクトチームとしても数点アトラクションを出しており、管理人が参加した2003年はドッジボールとキャンプファイヤーを行いました。
平塚市にある湘南養護学校では海の日辺りに夏祭りが開かれていました。(管理人が調査したところ、コロナ禍前の2019年の学年行事で確認できず)
交流祭プロジェクトチームとしてブースを出展しており、中でいくつかのアトラクションを体験しました。(交流祭を疑似的に体験?)
交流祭の主要スポンサーでもあった平塚湘南ライオンズクラブは、七夕まつり期間中に街頭募金を行っています。(コロナ禍前はバスターミナル脇のラスカと梅屋の間とパールロード上の2か所に配置、「3.七夕とSHC」も参照)
当時は交流祭スタッフも日替わりで募金活動の手伝いをしており、募金して下さった方にうちわを配布していました。
手伝った学生は終了後にライオンズクラブ行きつけ?の飲食店の食券をもらってみんなで夕食を頂いたこともありました。
2002年の夏・冬頃及び2003年の夏頃(管理人把握分)、平塚庶務課に依頼されて、神大行き到着便を対象にどれだけ乗客がいたかを一定期間(指定月の1週間だったような)調べるアルバイトをしました。
目的は不明ですが、この頃は学生数の増加で定期便だけでは賄いきれず臨時便もコンスタントに出していたこともあり、利用者の実態を大学が把握してその結果をもとにバス会社と調整の上運行ダイヤを決めるようにしていたのではないでしょうか。
管理人が3年の2002年度において、当時私が別に活動していた課外英会話講座(現在は名称が異なる、この話もいずれSHCメモリアルで載せれたらと思います)を受講していました。
当時学内での認知度の低さ対策でPRを強化したいと当時の代表が話しており、その一環として私の提案のもと宣伝をしに行ったことがありました。
それに先立ち、この受講を勧めて下さった私の出身学科の同期(課外英会話講座の中心人物)に事前に相談して了承をもらいました。
また、当時の担当者も理解のある方と聞いたこともあり、後期の初日にその方に話を入れました。結果、翌週に本格的な交渉活動をやることとなりました。
当日、私と当時の代表の2人で交渉しに行きました。
まず私が交流祭の簡単な説明をした後、代表が本題を話しました。
私はこのような交渉は初めてでしたのであまり上手く話せなかった一方、代表は交渉経験が多くて慣れていたのもあってさすがだと思いました。
担当者は既に理解していたため、あっさりOKとなりました。
そして、実際に担当者控え室に交流祭のポスターを貼ってもらい、さらに授業中に講師がチラシを配って下さりました。
最終的に、交流祭知名度を上げるのに貢献でき、代表もその評価をしてくださったので、役に立てた様で何よりです。
交流祭そのものは2007年を最後に終了しましたが、定期的にOB会を開いて(ある時はビール工場見学、またある時はキャンパス訪問)スタッフとのつながりは今でも続いております。
…2022年度も平塚祭ファイナルでOB会を開き、SHC最後の姿を出席者が思い思いにかみしめていました。