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ちょっとしたお話「4. 神大は六角橋だけではない」

神大にある各種団体が団体名やプロジェクト名を命名する際、湘南ひらつかキャンパスでは「平塚○○」「湘南○○」「神大平塚○○」というネーミングが多いのに対して、横浜キャンパスでは今でも新しく誕生する団体名に「神大○○」というネーミングが多いように見受けられます。「横浜○○」「六角橋○○」というネーミングは概して使われないようです。そんなところからネタを切り出します。
なお、本ページの記載は全て私の主観に基づいておりますので、全てが真実とは限りません。ご承知おきください。


横浜キャンパス(左)・湘南ひらつかキャンパス(右)の表札
どちらも開学以来の歴史を背負っている

神大は横濱学院の開学から60年、附属学校や研修施設を除けば横浜キャンパス1箇所だけでやってきたわけで、それだけに六角橋での歴史の重さは筆者とて十分に痛感しているところです。六角橋の商店街を歩けば、至る所で神大に縁のある掲示物を見かけますから。長年、六角橋という土地が神大のご近所であったことは誰が見ても明らかなのです。

しかしながら、その神大は平成元年に平塚キャンパス(現・湘南ひらつかキャンパス;SHC)を開学して、2つのキャンパスを併存させていくことになりました。いつしか全学約18,000人の学生のうちの4000人程度、約1/4がSHC生という時代になっているのです。そんな時代に突入しても横浜キャンパスでのネーミングセンスは一向に変わる気配が見えないんですね。昔よりキャンパス間交流が深まっているにも関わらず、です。

何が気になるのかと言いますと、「神大○○」というネーミングは学外の人が見ると、「神奈川大学=横浜キャンパス」どころではなく、「神奈川大学≡横浜キャンパス」という理解をするきっかけになってしまい、SHCの存在がどこかに吹き飛んでしまうのです。あるいは「横浜=本校・SHC=分校」みたいな上下関係を作ってしまいかねない、と。SHCには神大SHCとしての文化が根付いているだけに、「神大」の名前を横浜キャンパスだけに独占されてしまうのはどうかと思うのです。


2009年10月24日(土)
第21回平塚祭開催中の湘南ひらつかキャンパスで開学20周年記念行事を開催

昭和の時代に神大を巣立っていった神大生であれば、「神奈川大学≡横浜キャンパス」の意識があっても仕方ないかと思います。でも、平成の神大生までその意識を引き継がなくてもいいんじゃないな、と。新しい時代の活動に対しては「神大」という名前の使い方にもちょっと意識してもらいたいものです。横浜キャンパスローカル活動ならばぜひ「六角橋○○」とか「宮面ヶ丘○○」とでも名付けて、六角橋でのご近所付き合いの歴史を受け継げばよいのです。その方がより身近な活動に感じられませんか?

あえて「神大○○」という団体名・プロジェクト名を付けるならば、神大全学を代表するものであること、もしくは神大内で必ずonly oneにしかなり得ないもの、そんなものに付けるべきではないでしょうか。私が神大に通っていた時代は、横浜キャンパスの一部教員・学生から平塚キャンパスの人間が蔑視されていた時代でもありました。それだけに「神大○○」というネーミングとそのスコープには、非常に敏感なんです。

この視点に従うと、横浜キャンパスの大学祭である「神大フェスタ」は名前として間違っているだろうと、ずっと感じているのです。しかも年々「じんだい○○」という企画が次々と増加している状況にはますます違和感を感じるのです。それは2009年9月25日〜10月23日にに神奈川新聞で連載された「人をつくる−神奈川大学物語」(全20話)にて、神大フェスタだけが日程入りで紹介され、連載直後に開催される平塚祭がしっかりと案内されなかったことにより、神大フェスタがさも神大を代表する祭であるかのように紹介されたことで更に強まりました。

当の神大フェスタや平塚祭の実行委員たちがこのことについてどう思っているのかは分かりません。しかし、例えば春にクラブ決定戦を兼ねたイベントをSHCで行い、秋に神大全体を代表する大学祭として「神大フェスタ」を開催するような、壮大なプロジェクトを抱いているならば今のネーミングを支持します。「神大」という名前がどう一人歩きしていくのか、そういう影響を今の学生さんたちにはぜひ考えてもらいたいものです。そして昭和の卒業生たちにも浸透させていけたらいいのではないかと考えているのですが・・・皆さん、共感できるものありませんか?
ぜひご意見・ご感想をください。


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