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神大ゆかりの建物・桜木会館

1927(昭和2)年4月、神大創設者である米田吉盛氏が中区桜木町の「桜木会館」内に神大・さらにその前身の横濱専門学校の前身「横濱学院」を設立しました。
校舎としての機能は同年の12月に中区西戸部町字富士塚(現西区境之谷)に移転(リンク先参照)したため、ここでの活躍期間はごく僅かでしたが、ともあれここが神奈川大学始まりの地点であることには変わりませんでした。
その建物が、戦災の被害もあまり受けずに現存していたのも、80年経った今となれば奇跡だったのではないでしょうか?

2008年6月22日の日曜にM1981が横浜キャンパスで待ち合わせた私用があり、その時にJINDAI Style(以下Style)の最新号を貰いましたが、その中の神大80周年記念特集ページで神大始まりの地がまだ残っているという記事がありました。 調べたところ、ここは私の通勤圏内にある場所だったこともありましたが、後述の理由で3日後の25日(水)に会社帰りに立ち寄って見に行くことにしました。

さて、この記事を見てからというもの、Styleに”歴史の流れと共に姿を消してしまう前に”と書かれていたこともあり、やはり神大出身としてはどうしてもこの建物の存在が気になってしまい、通勤で使う根岸線の車内からこの建物をちょくちょく眺めるようになりました。
訪問日となった朝にこの建物を電車内から見たところ、Styleの写真ではあったはずの3階の窓が完全になくなった状態でいたことに気づき、今撮っておかないと二度と見られないという危機感を感じたため、思い切って訪れることにしました。

生憎この日撮れるカメラが携帯のものしかなく、また夜に撮ったためかなりぼやけておりますが、まだ建物がわかる状態でいたために写真におさめておきました。

神大ゆかりの建物・桜木会館

上写真:2008年6月25日夜に撮影したゆかりの地「桜木会館」
3階に加え、既に2階左側窓もなくなっていました。


桜木会館の位置

上図(Yahoo!地図を使用)中の青いバルーンで印を付けた所で、最寄り駅の高島町駅との位置関係を示しました。


桜木会館・解体の記録

(写真なし) 6月26日(木)
帰りの電車から建物を眺めたら、ついに1階部分が工事用の柵に覆われてしまいました。いよいよ解体工事が本格化したのだなと感じずにはいられませんでした。
結局、上の写真は1階部分がわかる最後の姿となってしまいました。
6月27日(金)
この日の夜には解体用柵の骨組みが2階部分まで組まれていました。
左写真はさらにその翌朝に根岸線の車内から撮ったものです。
6月28日(土)〜29日(日)
上の写真の翌日午前に根岸線の車内から撮った写真では、その骨組みが3階まで到達していました。
なお、この日は日曜のため工事はお休みでした。
7月1日(火)
この日の夜に車内から見たら、ついに建物全面に渡って解体用の鉄板に覆われてしまいました。
左写真はその翌朝に車内から撮ったものです。
(写真なし) 7月6日(日)
夕方に帰りの電車の車内から見たら、既に3階部分の解体がある程度進んでいて、鉄板の一部が既に撤去されていました(2階部分に重機の姿もチラッと見えていました)。
(写真なし) 7月9日(水)
仕事帰りの電車の車内から見たら、2階部分も解体がある程度進んでいて、鉄板の高さも大分低くなっていました。また、重機も2台見えました。
7月13日(日)
昼前に電車の車内から見たら、2階部分の解体も大分完了し、既に2階以上に囲まれていた解体用の鉄板も殆どがなくなっていました。
(写真なし) 7月16日(水)
仕事帰りの電車の車内から見たら、1階部分の解体も大分完了し、側面部分の工事用鉄板が完全になくなり、中に重機がいる程度にまですっきりした感じになりました。
7月20日(日)
この日電車の車内から見たら、さらに重機もいなくなって土の地面だけが残った状態になっていました。
このことより、解体工事が完了したと思います。
現在
(2010.-8.-7追加)解体完了後のおよそ1年は更地でしたが、現在はコインパーキングになっています。

追伸、この建物の屋上にあった十字架は何だったのでしょうか?

参考文献:JINDAI Style 268号、神奈川大学のあゆみサイト、(2008.-7.-2新規)


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